『水幻記』とは、歌人大野誠夫の第九歌集である。「ぶらり『水幻記』」は、ぶらりと散歩がてら立ち寄ったような軽い気持ちで、大野誠夫短歌を鑑賞してみようとする試みである。

ぶらり『水幻記』(六十)抽象という具体―見せまじき

 

見せまじきものをこの夜も衆の前にあらはになして安価なドラマ

               「青柚」(昭5010

 

 

 

「青柚」五十一首には

 

実に多彩な歌が盛り込まれている。

 

一部に難しい熟語も使われてはいるが

 

どの歌も解りやすい。

 

 

 

抄出の一首は

 

熟語は「安価」ぐらいなもので、

 

ひらがなが多く

 

理解に苦しむことはない。

 

では、何が特徴か。

 

良く使われる手法で、

 

取り立てて特徴という程の事でもないが、

 

「見せまじきもの」と言う表現はどうだろうか。

 

 

 

短歌は、その人の生涯を掛けて詠う。

 

という事を五十回の時述べたが、

 

短歌は、その人の生涯を掛けて鑑賞する。

 

他人の短歌は、

 

その人の生きてきた経験の中で読み解く。

 

ということだろう。

 

 

 

「見せまじきもの」は抽象的な表現である。

 

具体的に表現する熟語がありそうである。

 

「安価なドラマ」だって抽象的な表現である。

 

勿論、具体的なドラマ名はあるだろう。

 

 

 

この抽象は、

 

読者がその人生経験の中で具体化し得る抽象である。

 

短歌という芸術的美意識の中で生まれた抽象である。

 

抽象が具体以上に効果的な一首と言えるであろう。

 

ぶらり『水幻記』(五十九)

 

民の知らぬところにて企まれゐるものをわれは怖るる

 

(はや)き街         「青柚」(昭5010

 

 

 

毎年八月十五日には新宿日本青年館で

 

「八・一五を語る歌人のつどい」が開催され、

 

今年で二十四年目になった。

 

その中に

 

「短歌リーディング」という構成があって、

 

こちらは十一年目。

 

今年のテーマは「今こそ、詠わん」だった。

 

 

 

「作風」三月号の

 

日種貞子氏と高野美香氏の作品が

 

春日いずみ氏と関根和美氏によって朗読された。

 

抄出歌に戻ろう。

 

「民」は国民。

 

「企む」は、たくらむ。悪いことを計画すること。

 

「怖れる」は、おどす。わけもなくおそれる。

 

「恐れ」とも違う。

 

「迅い」は、飛ぶように早い。迅速。

 

「街」は、人間が生息する地域。「町」ではない。

 

 

 

今「花子とアン」の場面は先の大戦の時代。

 

それを観ていても、

 

企む側は、常に秘密裡に事を進め、

 

民の情報は、常に諜報されている。

 

 

 

大野は、事実に基づかない空想・虚構の短歌は創らない。

 

大野は、何かの事実の背後にそうしたものを感じているのだ。

 

昨今の日本の政治情勢に似てゐる。

 

 

 

大野曜吉氏が好んで引用する大野の言葉がある。

 

事件なら事件、この奥にあるものを洞察する力、現実なら現実に対する認識の深さが、短歌を文学たらしめる。

 

ぶらり『水幻記』(五十八)混沌―充ち足れる日

 

 

 

充ち足れる日の続くさへゆゑもなく怖しと言ひて青柚

 

を削ぐ          「青柚」(昭5010

 

 

 

「短歌」へ発表した連作五十一首の冒頭の一首。

 

この歌は、

 

早くから人口に膾炙されており、

 

且つ、解釈の難しいところはない。

 

従って、今さら何か言う事もない。

 

 

 

水谷ひで子(筆名・山上津悠子)と結婚して七年、

 

熱海へ転居して三年、

 

六十一歳。

 

歌壇的な評価も、家庭的にも

 

最も安定した時期を迎えていた。

 

奥さんも。

 

 

 

この歌のポイントは、

 

「ゆゑもなく」

 

思い当たるような理由・原因はない。

 

ということ。

 

充足した生活が続いているのになぜか怖い。

 

というわけ。

 

奥さんの言葉を借りた、

 

作者の思いでもある。

 

 

 

文学、とりわけ短歌は、

 

自分発見の文学である、と思っている。

 

見えないものであり、混沌とした世界である自己の内面と

 

激しく切り結ぶところから湧き出て来る言葉が短歌になる。

 

と思っている。

 

 

 

今夜は、

 

すりおろした青柚を添えて素麺でも食べるとしよう。

 

 

 

 

ぶらり『水幻記』(五十七)言葉を削るー旅びとの父

  旅びとの父をみちびき輪王寺奥庭の閑雅なる秋見よといふ

               「寺の秋」(昭5012

 

 

 

「短歌」は、極めて豊富な日本語の中から、

 

最も心情に合致した言葉を選ばなければならない。

 

「短歌」は、最も少ない言葉で

 

最も効果的に表現しなければならない。

 

 

 

抄出の歌を見てみよう。

 

この歌には、主語が無い。

 

 

 

初句「旅びとの父」とは、誰か。

 

作者がいて、旅人がいて、その旅人の「父」か。

 

作者がいて、旅人である誰かの「父」か。

 

作者イコール旅人イコール父親か。

 

だとしたら「父我を」と何故しなかったのだろうか。

 

 

 

結句「見よといふ」とは、誰が言うというのか。

 

旅人ではない、父親ではない、

 

私でもない「誰か」である。

 

その地に居住している「その父の子」ということ。

 

だとしたら「我が子が」と何故しなかったのだろうか。

 

 

 

仙台を訪ねた私に、息子が、

 

「せっかく仙台まで来たのですから、伊達家ゆかりの金剛宝山輪王禅寺の奥庭の閑雅な秋の景色を見学されたらどうですか。」

 

と言った。

 

 

 

一首を散文的に表現するとこうなる。

 

「短歌は削る」文学であると言われている。

 

何を削るか。

 

それが推敲の最大のポイントである。

 

ぶらり『水幻記』(五十六)短歌の評価―蝉衣

 

幼らの帰りしあとに(せみ)(ごろも)背はみな裂けて風に動ける

 

             「月明」(昭5011

 

「蝉衣・せみごろも」は、薄く透けるような布で作った夏向

 

きの衣服。

 

「蝉の衣・せみのきぬ」は、①蝉のはね。②蝉の抜け殻。

 

③「せみごろも」に同じ。

 

「蝉の抜け殻」は、①蝉が脱皮して成虫になったあとに残る

 

殻。②中身がなくて外側だけが残ったもののたとえ。

 

 

 

抄出歌の「(せみ)(ごろも)」は、正しくは「蝉の(きぬ)」又は「蝉の抜け殻」が正しいようだ。

 

しかし、私たちは、次の「背はみな裂けて」から、「(せみ)(ごろも)」を「蝉の抜け殻」と認識してしまう。

 

 

 

ところで、この歌は、単なる写生歌だろうか。

 

確かに、抄出歌は、眼前の情景を詠んだものである。

 

その上で「幼らの帰りしあと」と詠んだのは何故だろうか。ほかの事でも良さそうなものだが。

 

「蝉衣背はみな裂けて」と詠んだのは何故だろうか。

 

勿論、蝉が成虫になって飛び去り、その抜け殻だけが残っている情景である。

 

 

 

それだけだろうか。

 

大野にとっては、この事でなければならなかったからだ。

 

この歌は「五句全てが暗喩」と思うのだが、どうだろうか。

 

 

 

歌の評価は、読者がその歌をどこまで読み取るか、理解するかに依って大きく別れる。

 

作者と読者の格闘がそこにある。

 

 

この頃、既に「短歌」一月号から連載する「或る無頼派の独白」の執筆が始まっていた、と思われる。

ぶらり『水幻記』(五十五)言葉と人生ー実朝の歌

 

実朝の歌ひし波の寄る小島曇りて見えず峠のみちに

 

           「十国峠にて」(昭5011

 

 

 

連作「十国峠にて」八首中の最初の歌。

 

 

 

「十国峠」は、熱海市と芦ノ湖の中間にある。

 

標高は七七四mだが、眺望の良さが名前の由来だという。

 

十石峠に立つ人は、殆どが富士山を仰ぐ。

 

しかし、大野のこの連作には、富士山の歌は一首もない。

 

何故、大野は、反対側の海を観たのだろうか。

 

 

 

十国峠の眺望に接したとき、

 

咄嗟に、実朝の歌が浮かんできたからだ。

 

「実朝の歌ひし」とは、

 

 

 

箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ           源実朝〔続後撰1312

 

 

 

実朝は、源頼朝・北条政子の子。第三代将軍だが、鶴岡八幡宮で僧・公暁に暗殺(満26歳)され、頼朝一族は滅びた。

 

「沖の小島」は、初島。

 

当然、熱海に住んでいた大野には、

 

そんな実朝の歌の背景も思い浮かんでいるはずである。

 

 

 

ところで、短歌を鑑賞する時に、

 

作者の人生履歴や歌の中の事象、

 

(抄出歌で言えば、実朝の歌の知識)は、必要だろうか。

 

 

 

俳人・長谷川櫂は言う。

 

まず、言葉の描き出す世界がある。次に、その句を詠まれた(その人の人生で一度切りの)場面に戻すと、言葉はいきいきと動き始め、もう一つの世界が開ける。

 

ぶらり『水幻記』(五十四)生き方ーゆめ多き

 

ゆめ多き歌びとたりき島に老い酔ひて失意を語ること

 

なし           「風花」(昭5010

 

 

 

「歌びと」を、

 

私は知っている。

 

いや、その人ではないかもしれない。

 

そんなこと、歌の素材を知ることは、

 

それほど重要ではない。

 

大野も固有名詞は明らかにしていない。

 

 

 

昔、若い頃は、

 

夢の多い歌人だった、という。

 

大野が見ても有望な歌人だったのだろう。

 

今はどうか。

 

その後、島を出ることもなく、

 

そのまま島で歳をとってしまった。

 

若い頃の「夢」は、

 

どれほど適えられたのか。

 

大野は知っている。

 

 

 

そこに人それぞれの人生があり、物語がある。

 

その人の生き方がある。

 

 

 

しかし、

 

その人は酒に酔っても、

 

「失意」「失望」「泣き言」など、

 

大野には言わなかった。

 

言ってどうなるものでもないからかも知れない。

 

強がりかも知れない。

 

結果を含めて、

 

今の自分を認めているのだ。

 

その生き方に、

 

大野の心が動いたのだ。

 

ぶらり『水幻記』(五十三) 歌の意味―月かげを踏む

 

(ほし)(うめ)の香の籠りゐる暑き夜の畳のうへの月かげを踏む

 

      「沢蟹」(昭50・9)

 

 

 

「干梅」とは、

 

梅干しにするために干した梅の実。

 

梅干しをさらに乾燥させて作った菓子。

 

など、解釈は定まっていないようだが、

 

難しく考える必要はない。

 

私は、その中間の

 

梅干しにしようとして

 

土用乾ししている過程のもの。

 

と解釈している。

 

普通は、夜露に晒すが、

 

家内に取り込んであるのであろう。

 

その香りが家の中に籠っている

 

夏の暑い夜に

 

畳の上にまで差しこんだ

 

月の光を踏む。

 

 

 

一句から四句まで「の」をもって結句に畳みかける技法はさておき、ふと

 

休暇となり帰らずに()る下宿部屋思はぬところに

 

(ゆふ)(かげ)のさす

 

という土屋文明の歌を思い出した。

 

月の光と日の光の違いはあるが

 

心境は似たものがあるように思う。

 

 

 

短歌に意味を負わせない

 

意味を負わせれば負わせるほど

 

作者の主観が強くなり

 

読者の鑑賞の幅を規制する。

 

 

 

感動の一首である。

 

ぶらり『水幻記』(五十二)命ー化身の蝉

 

遠き世のひじり慕ひしめわらべの化身の蝉も滅ぶるらむか 「あけぐれ」(昭50・7)

 

  

 

五十一回の歌の前にある歌。

 

 五十回に続き「遠き世」の歌。

 

 複雑な歌だが、要は、

 

 蝉も滅ぶるらむか

 

 ということだ。

 

  

 

「滅ぶる」は、この場合「死ぬ」ということ。

 

 「らむ」は、推量の助動詞「・・だろう」

 

 「か」は、疑問の助詞。

 

 今ごろは「蝉も死んでいるだろうか」

 

  

 

「遠き世」はあの世。

 

 「遠き世のひじり」は、今は亡き聖人・高僧。

 

 千葉県鴨川市小湊鯛の浦では、

 

 鯛が日蓮聖人の化身として言い伝えられている。

 

  

 

しかし、この歌は、

 

 聖人・高僧の化身ではない。

 

 そうした聖人・高僧を慕っていた「めわらべ(女童)

 

 その「女童の化身」即ち、

 

 亡くなった女の児が、

 

 この世に姿を変えて現れた「蝉」という構造だ。

 

  

 

夏森の欅に寄りて木の息を聴きゐし一人蝉となり果つ

 

 『あらくさ』「落桃」(昭45・8)

 

  

 

冒頭の抄出歌の前に「病まで・・死ぬもむつかし」

 

 という歌がある。誰かの死があって、

 

 「命」ということが脳裏を過ったのであろう。

 

 

ぶらり『水幻記』(五十一)予感ー老残の日を待たず

 

(たり)(ばな)のむらさき(くた)す雨の音老残の日を待たず死にたし 「杜鵑」(昭50・8)

 

 

 

熱海へ移って三年。

 

安定した生活の日々の中の大野六十一歳の時の歌。

 

「垂り尾」「垂穂」「垂れ髪」「垂れ絹」「垂幕」

 

「垂れ目」などは広辞苑にあるが、「垂花」は無い。

 

 

 

大野の「垂花」の使用例は、もう一首ある。

 

 年を経し藤の(たり)(ばな)長き日の下蔭にしてものをおもはず

 

 『川狩』「垂花」(昭41・7)

 

 

 

想像はしていたが藤の花のことのようだ。

 

この歌で、九年前の五十二歳の大野は、

 

「ものをおもわず」と言う。

 

「下蔭にしてものをおもはず」と言う。

 

 大野はこの時、不幸のどん底にあった。

 

 だから、こういう一首が成った。

 

  

 

今、六十一歳の大野は、

 

 「死にたし」と言う。

 

 「老残の日を待たず死にたし」と言う。

 

 大野はこの時、幸福の絶頂にあった。

 

 だから、こういう一首が成った。

 

  

 

この八年後に病み、

 

 「老残の日を待たず」に亡くなられた。

 

 昭和五十九年二月七日。

 

 あれから三十年。

 

 経った。

 

ぶらり『水幻記』(五十)生涯―うぐひすの慈悲

仮親のうぐひすの慈悲むさぼりて啼くはらからと異なるこゑに

                  「杜鵑」(昭50・8)

 

まぎれもなく大野の歌だ。

 

「仮親」は、養ってくれた親。養父・養母。

題が「杜鵑・ホトトギス」となっているから、

すぐ解る。

 

ホトトギスは、特許許可局と鳴くあの小鳥。

ホトトギスの托卵は有名で、

ホトトギスは、ウグイスの巣・卵の中に卵を産んで、

ウグイスに孵化させ・雛の世話をさせるのである。

卵はいずれも薄いチョコレート色で模様がなく、

ウグイスが気付かないのだ。

 

しかし、さすがに雛が育ってくると、

鳴き声でその違いが判る。

「啼くはらからと異なるこゑに」だ。

「はらから・同胞」は、兄弟姉妹。

 

短歌は、その人の生涯を掛けて詠う。

八十代の人は八十年間の、

二十代の人は二十年間の。

短歌を始めるのに遅すぎるということはない、

と言われるのはそのためだ。

 

短歌には、作者の生涯が投影される。

否、生涯が短歌を規制する。

生涯があってそれなりの短歌が生れる。

 

ホトトギスは、大野自身の投影。

大野の生涯が掛かった一首。

ぶらり『水幻記』(四十九)鋭 敏―遠き世

たかむらのそよぎも絶えて遠き世の尼僧の歩む足音を聴く

「祇王寺」(昭50

静かな歌だ。

なんと穏やかな歌だろう。

 

「たかむら」は、

「竹叢」「篁」で竹の林、竹やぶのこと。

 

「尼僧」と言えば、前に、こんな歌もあった。

 

裾長き白きころもの尼僧らと地獄を負へるわれすれちがふ

                   『あらくさ』

水の辺の黒衣の尼僧はばたきてうつつの蝶の群にまじはる

                    『水幻記』

しかし、抄出の歌からは、

白衣の尼僧も黒衣の尼僧も姿を現さない。

足音だけが聴こえてくる。

 

  遠き世の如く遠くに蓮の華    山口誓子

 

「遠き世」は、この世ではない。

遠い世界、あの世である。

あの世の尼僧の足音が聞こえるわけがない。

しかし、大野誠夫は、それを聞いている。

 

「裾長き」も「水の辺」の歌もこの世だったが、

この時は、

大野は、自らをあの世に遊ばせたのだ。

 

詩人は、

何事にも鋭敏なのであろう。

ぶらり『水幻記』(四十八)言葉を探すー百恨

百恨を抱けるものの瞼にも翳ゆらめきて散る夜のさくら

                「廃園」(昭50・6)

 

「百恨」

突然、激しい言葉だ。

しかし、辞書にはない。

辞書には「万恨・ばんこん」という語はある。

「種々の恨み。多くの恨み」のこと。

 

 

中国には、意味は解らないが、

「怨妾愁心百恨生」という詩句があるようだ。

「百恨」は、そうした漢詩から探し出した言葉であろう。

 

また、中国、唐代の詩人白居易の長編叙事詩に

有名な「長恨歌」という詩がある。

「長恨」とは、長く忘れることのできない恨み。

 

「百恨」とは、「万恨」や「長恨」ほどではないが、

「多くの恨み」のことであろう。

 

誰が・・・。

そんな恨みを、誰が「抱ける」というのか。

勿論、作者である。

大野誠夫である。

誰に・・・。

 

「瞼」とは、「まぶたの母」の「まぶた」である。

「翳」は、羽扇でかくされた部分のこと。

「陰」は、日の当たらない部分のこと。「陽」の反対。

「蔭」は、草木で見えない部分のこと。草木のかげ。

 

生家の庭の桜が瞼に浮んでいる。

ぶらり『水幻記』(四十七)省 略―ともしともなく

山葵田を縫ひくる水に濯ぎをり山のくらしのともしともなく

「水畔」(昭50・1)

 

「短歌」昭和50年1月号に発表の歌。

歌集では

「作風」の五月号と六月号の歌の間に置かれている。

なんとも大らかな歌である。

 

「山葵田を縫ひくる水」からは、

山葵田の山葵の一本一本を

水が経糸と横糸のように編み込んでいる、

そんな情景が想像される。

 

「濯ぐ」は、汚れたものを水で洗うこと。

山葵を育むのは冷たい清流。

そこで何を洗っているのだろうか。

(衣服、体、野菜、山葵、農機具・・・)

どんな人が洗っているのだろうか。(老若男女)

何人で洗っているのだろうか。(一人、複数)

季節はいつ、時間は何時、誰が、何を、なぜ・

何のために、どのようにして等々、

全て省略されている。

想像は、読者に任されている。

その分、余情を深くしている。

 

「ともし」は「乏しい」「貧しい」

「ともなく」は「ということでもない」

貧しいというわけではない。

 

上句の省略した部分に、

下句がヒントとなり、

省略が成立する。

絶妙な表現だ。

ぶらり『水幻記』(四十六)歌の背景―負目

三十年森に起き臥しし孤の世界おもひみるのみ負目を持ちて

               「地の声」(昭50・5)

 

短歌は、取材元を明かす必要はない。

短歌に地名を詠み込むのも、

固有名詞を詠み込むのも、

時には安易であり、

時には普遍性を喪失させる。

 

但し、

その取材地はどこであるか、

その地名は何であるか、

それば誰なのか。

作者の人生はどうだったのか、など

作歌の背景を知ることは、

短歌の解釈の扉を開き、

解釈をより深く、より広くする。

 

短歌に言葉は命だ。

読み解く鍵はその言葉だ。

キーワードだ。

「三十年」「森に起き臥し」「孤の世界」

「負目」「昭和50年」

 

昭和四十九年、

フィリピン・ルパング島の森林の中から

一人の日本兵が出て来た。

小野田寛郎陸軍少尉・五十二歳だ。

 

大野誠夫は、昭和九年、二十歳の時、

胸の病に罹っていたため、徴兵検査・丁種不合格。

 

  戦場にゆかざるゆゑの負目にも言葉なくわれは長く耐へにき  

 

ぶらり『水幻記』(四十五)歌人の言葉―足弱

奔流に腹擦り飛べるいしたたきたのしみながら足弱(あしよわ)待つ

「水畔」(昭50・1)

 

「奔流」は「ほんりゅう」と読む。

速い流れ。激しい勢いの流れ。のこと。

渓流の流れなどを想像すれば良いだろう。

「急流」「激流」「濁流」などの類似言葉がある。

 

ただし、「奔流」は、

「奔放」を意識させて

独特のイメージを内包している。

 

「腹擦り飛べる」は、

「水面すれすれ」とか「水面に触れながら」「いしたたき」は、

 

「セキレイ」の別称。

セキレイの習性が、

たえず尾を上下に動かして、

槌で鉱石を打ち砕く様子に似ている事からの命名のようだ。

 

「足弱」は、

老人・女性・子供などの総称。

ここでは奥さんのこと。

 

酒を飲みながら、

妻を他人に紹介する時に何と言うかという話になった。

女房、(つま)(さい)、愚妻、嫁、家内、奥さん、カミさん、ワイフ、ママ、おかあさん、ばあさんうちのやつ・家人・名前等々。

 

大野は「妻」「嬬」。他に「足弱」と「足弱き嬬」各一首。

俗人と歌人では、言葉選びが違うようだ。

ぶらり『水幻記』(四十四)子を詠うー蒲団を直す

かたはらに眠る子の顎の薄き髭いくたびか覚め蒲団を直す

                「水畔」(昭50・1)

大野誠夫には、

子供の歌が多い、

というのは有名だ。

 

この歌は、大野六十歳の時の一首。

息子二十一歳。大学生。

同居していたわけではない。

詠う父親も、詠われる息子も、

幸せなことだ。

 

「子」とだけ言っている。

「息子」とか「息」と書いて「こ」と

ルビを付す歌人もいるが、安易だ。

 

「顎の薄き髭」にもリアリティー(真実性)はあるが、

「いくたびか覚め蒲団を直す」の下句には、

主観表現以上のリアリティーがある。

六十歳を思えば尚更である。

私など、これほど正直には詠えなかった。

 

氷片に洋酒を垂らし羞(やさ)しげにことわりて煙草喫ひ始めたり

 

こういう歌もある。

明らかに息子さんを詠んでいるのだが、

ここにいるのは、二人の人格者であり、

肉親としての関係を超越して、普遍的だ。

大野はこの六年前までは煙草を喫っていた。

こっちの方が好きな歌だ。

ぶらり『水幻記』(四十三)思い出―匍ふごとく

みちのくの男ら土を匍ふごとく太鼓を打てり忍びやかなる      

「地の声(わらび座)(昭50・5)

 

この歌で思い出すことがある。

一九七五(昭和五十)年五月一日、午後七時半、東京浜松町駅前から、「わらび座春のまつり」バスに乗った。

松平修文君が同行した。

 

実は、この年から作風全国大会の設営が支部持ち回りとなり、

第一回を埼北支部で引き受けた。

大野の希望で、熊谷から四百キロも離れた秋田県田沢湖町の民族歌舞団「わらび座」を会場とする事が先に決定していた。

大会は十月で、五月はその下見だった。

あれから三十八年経つ。

 

しかし、この歌は、その時の歌ではない。

この二年前、熱海市でわらび座公演があった時に、大野は観に行っており、秋田の「わらび座」での全国大会が決定したことで、その時のことを思い出して創られたものと思う。

 

その熱気と迫力と爽快さに殆ど圧倒された。わらび座の舞台は、詩的であり、時に炎となって、観客の心を焼き尽くすかに思われた。

と、その時の感想を「作風」に述べている

 

「匍ふ」は「はらばふ」。「匍匐・ほふく」。

「勹」は、つつむ。己を「包む」。

「甫」はへばりつく。水辺にへばりつく「浦」。

「匍ふ」は、腹をぴったりと地面につけること。

 

土を耕し、籾種を蒔き、稲苗を植え、田の草を取り、稲を刈り、乾し、束ね・・・。腰を痛め、腰が曲がり・・・。

思えば、私の母も「匍ふごとく」生ききった。

ぶらり『水幻記』(四十二)脈絡ー竪琴ひびく

白き猫坂のなかばに立ちどまり葬(はふ)り処()の空竪琴ひびく

              「竪琴」(昭50・4)

 

この時、大野は

戦国時代に戦場だった関ヶ原あたりにいて、

戦国の世の激しい殺戮に想いが及んでいる。

 

同時に、

苺などの農産物や海産物などが

文明の毒に侵されているという

現代の「殺人の現場」に立たっている。

 

抄出歌は「短歌」に「竪琴」として発表した一連九首の最後に置かれている。

上句は、現実の情景。

下句は、そこからの幻想とみてよいだろう。

 

坂の途中に墓場があった。

戦国時代の死者を埋葬した墓場かもしれない。

「猫」は大野自身。

坂の途中に立ち止まって、

ふと、無念の死を想う。

 

(はふ)り処()から空へ、空から遠い所、

日本人の死体のころがる戦場へ、

竪琴の音が聞こえてくる。

大野の想像は果てしなく拡がる。

 

読者の想像は作者に規制されることはない。

私は映画「ビルマの竪琴」に想いが及んだが・・・。

 

理屈や脈絡もなく想が展開することがある。

この一首はそんなところを楽しめば良いだろう。

 

ぶらり『水幻記』(四十一)主観ー仏罰を

仏罰をすら懼れざる酷烈の性きはまればさやけきごとし

              「安土」(昭50・4)

織田信長を念頭においた連作中の一首。

「仏罰をすら懼れざる」とは、

延暦寺などの寺社をことごとく灰燼にした

比叡山焼き討ちなどの行為をさす。

神仏を懼れない悪行をしたものに対する

神仏側からの罰。

具体例があるわけではない。

 

「酷烈の性」とは、

そうした常人では考えられない狂気の沙汰をいう。

それでも「酷烈」はどことなく好意的な用語だ。

そんな感じがする。

言葉選びは、主観の現れでもあるのだから。

 

「きはまれば」は、

中途半端ではなく、

「ここまで徹してしまえば」ということ。

 

「さやけし」は、

明けし、あきらかで

爽けし、さわやかで

清けし、澄んでいること。

気分爽快、あっぱれという思い。

 

「ごとし」は、

けっして善行ではないんだけれども、

という思い。

主観をそれとなく表出した一首だ。

 

ぶらり『水幻記』(四十)生活詠――和ぎし物言ひ

松が枝と籠に溢るるだいだいを提げ来て老の和ぎし物言ひ

               「年の瀬()」(昭50・3)

なんともない歌だ。

年の瀬の日常詠。

生活詠ともいう。

 

「松の枝」は、枯れることのない常緑樹

「だいだい」は、「代々栄える」という

共に縁起物で、

正月飾りにとくださったのであろう。  

 

なんともない歌だが、下句に注目する。

大野の歌で、

隣近所の人達を詠んだ歌は、

極めてめずらしい。

 

特に「和ぎし物言ひ」に注目する。

この穏やかな感じは何だ。

目じりを下げた大野の嬉しそうな顔が浮かんでくる。

 

「類は友を呼ぶ」という。

大野家に、大野誠夫に、

「和ぎし物言ひ」をする老が寄って来たのである。

そこには、

「和ぎし物言ひ」をする大野誠夫が見えてくる。

 

妻を得、住家も定まり、金銭的にも安定し、墓所も手に入れ、

最高に満ち足りた生活が、表情に表れたのであろう。

 

そして「溢るる」幸せと

「和ぎし物言ひ」の生活が詠まれた。

 

ぶらり『水幻記』(三十九)言葉――窮乏の歳月

窮乏の歳月も過ぎ冬海の青をたのしむ机に倚り
          「年の瀬()」(昭50・2)

 

熱海へ転居して三年目の年の瀬。

大野も還暦をすぎた。

 

六十年の人生を

[窮乏の歳月]

という言葉で括った。

この言葉の選択に至るまでの

 

戦の歳月・滂沱たる泪のなかに沈みゆく入日のごとき歳月・長夜のごとき歳月・愚かなる歳月・愚かしきことに労せし歳月・失職の歳月・縛め歳月・蹉跌に耐へし歳月・挫折の歳月・逸楽の歳月・寄生木の生にひとしき歳月・裂くごとき痛みの歳月・別れ住む歳月・・・。

 

などを経て「窮乏の歳月」に至った。

 

「窮乏」は、単なる物理的な貧しさだけではない。

自己の精神的な貧しさがある。

不甲斐無い思いもあろう。

六十年の人生を背負った言葉だ。

重い。

 

しかし、

そうした歳月ももう過ぎ去った。

今は「冬海の青をたのしむ」ことが出来るようになった。

妻のおかげで。


「夢のまに過ぎて短き歳月」『水観』が迫っている。

どことなくそんな予感がする。

思い過ごしだろうか。

ぶらり『水幻記』(三十八)望郷歌――水音を聴く

  川べりの故郷遠くしてはらからの知らざる家に水音を聴く

               「山あぢさゐ」(昭50・1)

 

大野は、わけあって生涯故郷を捨てた。

であるがゆえに故郷の歌が多い。

 

昭和十五年、満二十五歳の時、

 

一月一日、父死亡。三月、父をモデルにした小説を書く為、新聞社を退めて帰郷。一年間に亘り、「初雪」七十二枚。「寒流家族」六五〇枚を書く。

 

これが生家に帰った最後である。

それから数えても三十五年経っている。

 

「川べりの故郷遠くして」

生れは、現在の茨城県稲敷郡河内町。

利根川べりの広大な水田地帯。

元々の家は現在の堤防の内側にあったが、

新土手建設に伴い外側の現住所へ移転した。

生涯居所を転々としたが、作歌当時は静岡県熱海市。

 

「故郷」の歌は多いが

「故郷」という言葉で自分の「故郷」を詠んだ歌は、

全作品の中で抄出の歌と他に一首あるのみ。

 

帰ることなき家・青葭のそよげる村・ふるさと・家郷・思郷・川浜の村・川べりの村・水の辺の村・水の辺の寂れし村・大河のほとり・廃園・故園・水辺なる過疎の部落・故里の家・利根川べりの生家・・・・。

 

実に多彩な言葉で「故郷」を表現している。

詩人魂とでもいうものであろう。

 

「兄弟姉妹らの知らない家」という。

「水音」は、熱海の家の前の坂道の側溝を流れる水の音。

感傷はない。

ぶらり『水幻記』(三十七)写生歌――山あぢさゐ

薄青き山あぢさゐの残り花また見むとして月の夜待てり

           「山あぢさゐ」(昭50・1)

 

これは写生歌だろうか。

 

「残り花」は、広辞苑などの辞書にはない。

その花本来の季節を過ぎて僅かに咲いている花、

と解釈すれば良いだろう。

山間地や木蔭などでは時々見かけることがある。

この際「萼」だとか「装飾花」だとかの議論は要るまい。

 

これは写生歌だろうか。

上句は過去のことである

以前に「山あぢさゐの残り花」を見たということ。

下句は現在である。

今「月夜になるのを待っている」ということ。

「あの時の」が省略されている。

 

「月の夜待てり」ということは、

「残り花を見た日」は、夜ではなかったのではないか。

少なくとも「月の夜」ではなかった、ということだろう。

昼間でも魅力的な「山あぢさゐ」の花を、

月の光に照らされる姿を幻想し、

見て見たいと強く思っている。

この歌は、「写生歌」である。

 

今年の熊谷地方は、連続真夏日・五十七日、真夏日・七十七日。

米の高温障害など植物にも異変が生じた。

 

「あぢさゐ」つながりだけで一首。申し訳ない。

池の辺の木蔭のあぢさゐ乾きたる花まりのまま冬に入りゆく    

ぶらり『水幻記』(三十六)けり――危うい抒情

  小作人の生終へんとし餓鬼吾に政治家になれと強く言ひけり

                   「故棲」(昭4912

 

大野誠夫も六十歳を過ぎて、

里子に出された当時の生活などを回想している。

連作七首の最後に置かれた歌。

 

「故棲」は「故郷」と言う意味だろうが、辞書にはない。

「郷」というよりも「棲」や「栖」、

鳥の巣のような貧しいねぐらを言いたかったのであろう。

また、生家の「故郷」と区別したかったのであろう。

漢詩か何かで大野が見つけた言葉だろうが、

我々は、安易に真似して使わない方がよいと思う。

 

「短歌」は、過去を再現する。

一秒前の過去も、五十年前の過去も。

 

過去形・過去完了形・現在完了形・現在形などで

過去を再現する方法があるが、

この連作は、「思ひき」「眠りき」「怖れき」

「道なりき」「清かりき」などと

過去回想で詠まれてきて、

最後にこの歌がある。

 

里親は、農耕馬さえ飼えない小作農民。

言った人は、その家の祖父。

大野の里子の経験や優しい人柄、強い正義感などから、

「政治家になれ」と言ったのだろう。

――私は、ならなくて良かったと思うが・・・。

 

「けり」は、過去回想や詠嘆の助動詞。

単に、過去の出来事としてだけでは済まされない、

という危うい抒情を

「けり」が、ぎりぎりとどめている。

ぶらり『水幻記』(三十五)実(じつ)――幻視の歌

 

虚飾めく幻視の歌に執しゐる人の私生活思ふことあり

            「山の恩」(昭4911

 

大野誠夫には珍しく、

言外にしっとりとした批判を含んでいる。

 

「虚飾」は、

うわべだけを飾ること。

実態を伴わないこと。

「幻視」は、

実際には存在しないものが、

さも存在するかのように見えること。

大野誠夫は、角川書店の「短歌」昭和四十九年十一月号に「告白的自註―『川狩』以降」を執筆している。その中で

 

前衛派は、一種の観念主義の文学ではないかと兼々思っている。最初に観念がある。

 

として、事実に凭れかかりすぎたアララギ派を否定すると共に、事実を伴わない観念ばかりの前衛派をも否定して、その中庸を目指していることを宣言している。

 

「私生活思ふことあり」とは、

言外に「虚飾めく幻視の歌に執しゐる人」

即ち、前衛派の歌には、詠まれている私生活が観念的で、

実生活ではありえないと言っているのである。

 

先ず事実があって、それらの事実を、

自分の身に引きつけて詠うこと。

自分の人生経験に即して詠うこと。

 

どんなに幻想的な歌といえども、

現実の感動から触発された歌であること。

ということだ。

ぶらり『水幻記』(三十四)俗語――狭き庭

 

狭きわが庭の彼方の山々を恩寵として飯食ひ終る

            「山の恩」(昭4911

「狭き庭」である。

最初から蛇足のようだが、俳句界の人々の間に「狭庭」と書いて「さには」と読ませ、狭い庭を意味する誤用が散見される。

しかし、大野誠夫には、そうした誤った用例が一件も無いことを秘かに誇りに思っている。

 

蛇足をもう一つ。大野誠夫が売れっ子の若かりし頃「小説などに比して、短歌の稿料が安すぎる。短歌だけで飯が食える位の稿料を出せ」と主張していた事があった。

当然、出版社からは煙ったがれる存在となった。

抄出の作品は六十歳の時のもの。

歌壇の中枢にありながらも定職のない大野にとって、

短歌のみでの生活は楽ではなかっただろう。

 

それでも、この一首からは、心の余裕が感じられる。

寒郷の入間から、温暖の熱海へ移り、

ひで子夫人との貧しくとも満ち足りた日々の生活を反映しているようだ。

 

「恩寵」は、「おんちょう」と読む。

「恵み」のことである。

一首では「借景の恵み」のこと。

安易に「借景」などという俗語に頼らない、

詩人の信念が感じられる。

(大野は慣用句の使用も嫌っていた。)

 

「狭き」がやや苦しい使い方だが、

「狭き」があることによって、

視線の移動が鮮明になった。

ぶらり『水幻記』(三十三)歌の命――地獄を抱きて

 

狂歌(しる)築墻(ついぢ)も墓地も売りつくし地獄を抱きて眠る夜の秋                                              「夜の秋」(昭4910

「築墻」は、

板や土を用い、屋根を瓦で葺いたような大掛かりな塀。

裕福な邸宅や寺院などで敷地の廻りにめぐらした。

「狂歌を記す築墻」は、風流である。

 

しかし、

いくら豪勢でも塀だけ売れるわけはない。

「築墻」を売るということは、

家屋敷ともども売り払ったということ。

「築墻も墓地も売りつくし」ということは、

全財産を売りつくして何も残っていないということ。

巨万の富を築き、栄華を誇ってきた一家が、

完全に没落したということを言っている。

 

当主にとっては、まさに「地獄」。

さりとてこの世の外に生きてゆくわけにはいかない。

その「地獄を抱きて眠る」、即ち、

「地獄の夜」を生きていかなければならないのだ。

 

大野誠夫のことではない。

小説か、芝居か、映画やテレビなどの一場面であろう。

しかし、大地主の家に生まれた大野に隣接している。

強烈にひかれるものがあって作品化したのだ。

 

小説や、映画やテレビなどで感動しても、

あらすじを短歌にしたのでは能がない。

作者の生と一元化して初めて、

リアリティーある歌になり、

歌の命を獲得する。

ぶらり『水幻記』(三十二)上の句と下の句――鶴の眼

 

はぐくみし人も世になし(くび)あげて啼く鶴の眼の(たた)へるみどり                                    「夜の秋」(昭4910

 

「はぐくみし人も世になし」

この唐突な思い。

どこから湧いてきているのだろうか。

大野誠夫の心底から滲み出ているようだ。

 

この「人」は、鶴の飼い主のこと。

そうだろうか。

「私をはぐくみし人」の思いが消えない。

「吾を生みし」ではないことの思いが消えない。

「頭を上げて」でない。

「頸を伸ばして」でもない。

「頸あげて」に発見がある。

 

「湛へる」は、

水などをいっぱいに満たすこと。

「眼に涙を湛える」の「湛える」だ。

 

広大な屋敷が想像される。

鬱蒼とした屋敷林が浮かんでくる。

「鶴」は、その前に立っている。

両目には溢れんばかりの緑を映して立っている。

いつまでも・・・。

思い出の中に・・・。

 

上の句の抽象と

下の句の具体が最高に照応する時、

読者は、限りなく想像の深みに嵌る。

作者の思惑通りに・・・。

「鶴」は、大野誠夫だ。

ぶらり『水幻記』(三十一)静かに詠う――債鬼

 

訪ふは債鬼怒りて呼べる路次の裏家に人なく犬が鳴きゐる                                            「雨夜」(昭4910

 

「債鬼」は、「さいき」と読む。

字面からも解るように「借金の返済を厳しく迫る人」

情け容赦なく取り立てるさまを鬼にたとえていう。

「借金取り」ともいうが、通俗的なので大野は使わない。

 

季節は、夏。

玄関の戸をどんどんと叩きながら、

「○○さん!」と借金取りが叫ぶ。

家人は不在の様だ。

居留守を使っているのかも知れない。

再び、三たび「○○さん! いませんか?」

と怒鳴る声がする。

不審に思って犬が吠えている。

 

それだけである。

まるで、映画の一場面を観ているようだ。

いや、隣のありふれた日常かもしれない。

言葉は強いが、不思議と騒がしく感じない。

債鬼と犬の声以外、まったく物音がしない。

静まりかえった真夏の昼下がりのようだ。

 

ここに濃密な生活がある。

必死に返済を迫る債鬼も生活が懸かっている。

債鬼から逃げまわっている人にも生活がある。

それを聞いている作者にも切実な生活がある。

だからリアリティーのある作品になっている。

 

みんな、生きることに必死なのだ。

だから、歌は静かになる。

ぶらり『水幻記』(三十)自分を愛する心――白き海

 

机より曇れる空と白き海訪ひしことなき島霞み見ゆ

            「雨夜」(昭4910

 

熱海に移り住んで二年。

家は高台にあり二階から眼下に熱海の海が見える。

海に浮かぶ初島がすぐ近く見える。

 

いつも見ている光景なのだが・・・。

何の変哲もない光景なのだが・・・。

凡人には見えないものも・・・。

心の目に見える。

歌になる。

見慣れた海なのだが今日は違うことに気付く。

画家の心が「白き海」を捉える。

生気を失くした色だ。

 

初島まで四十キロ余り。

そんな近い世界なのに未だ訪れたことがない。

いつか行ってみたいあこがれの地だ。

 

空とも海とも見分けがたい視野に

ぼんやりとその島影を捉える。

ぼんやりと・・。

 

この歌は平凡である。

「白き海」の発見がなかったら。

この詩句を得たことによって、

生気のない心模様を詠みながら、

精気ある一首となった。

 

歌は、紙と鉛筆と

自分を愛する心があれば出来る。

ぶらり『水幻記』(二十九)凡作――庭石に

 

庭隅に小石を積みて塚となすもの言はず死にし毛物の

ために            「塚」(昭49・9)

 

「ものを言う」とは、言葉を発すること。

「言葉」とは、人間だけのもの。

「毛物」とは、ここでは「犬」のこと。

「犬」が言葉を発しないのは、当たり前である。

「もの言はず」などということは、初心者の過ちだ。

 

平凡な作品である。

連作の措辞として最後に置かれた歌だ。

無くても歌集の価値を落とすほどの作品ではない。

連作で、全てを傑作で構成することは出来ない。

歌集で、全てを傑作で構成することは出来ない。

 

連作は、

主題の歌を引き立たせるために凡作を配置すべきである。

歌集は、

山場の歌を引き立たせるために凡作を配置すべきである。

と言う人もいる。

絵画でいえば、前景と背景のようなものだろう。

 

凡作に狙いを定めて批評する人がいる。

自分の学ぶべき秀作を採り上げて批評する人がいる。

評論家は、自分の論を有利にする為に、時々過ちを犯す。

 

大野は、犬の発病から死に至るまで十七首の連作をしている。

我が子のように愛した犬の・・・、感動的な作品だ。

上句には、「我が子のようであっても、我が子として扱えない」という無念な思いが込められている。

下句には、病苦の姿を日々見ていながら「望みの一つも叶えてやれなかった」という慙愧の思いが込められている。

ぶらり『水幻記』(二十八)結句の力――掬ひては食ふ

 

暑き日の旗亭の庭を流れくる緑のひかり掬ひては食ふ

             「塚」(昭49・9)

 

難しい歌ではない。

「旗亭」「きてい」と読む。

(中国で酒旗とよぶ旗を立て目印としたところから)料理屋や酒場、旅館などのことをいう。

 

「暑き日」は、夏を思い出せばよいだろう。

周囲を緑の木々に囲まれた旅館の庭がイメージされる。

庭には、山から湧き出たきれいな水が流れているようだ。

ここまでは、さほどめずらしいことでもない。

問題は、四句目の「緑のひかり」。

四句目は、起承転結の「転」にあたる。

「流れてくる」のは、「緑のひかり」だという。

「?」と疑問を持ち始める。

庭の周囲を囲んでいる木々のみどりを映した水だろうか。

などと思いを膨らませる。

 

五句目は、「結」にあたる。

一首を理解するヒントは、その五句目にある。

「掬ひては食ふ」という。

「緑のひかり」を「掬ひては食ふ」という。

 

ここまできて読者は、

一句、二句、三句と積み上げていきイメージを破壊される。

川を流れてくるのではないことを知り、

緑のひかりをまとった食べ物であることを知り、

一首全体を理解する。流しそうめんだ。

 

完全に計算し尽くされた一首だ。

結句の重要性を思い知らされる。

ぶらり『水幻記』(二十七)心情に忠実――死ぬなよ

 

高熱に息喘ぎゐる犬を置きて家出でて行く帰るまで死

ぬなよ        「犬のあはれ」(昭49・8)

 

平凡な作品だ。

「体験と想像」も、

「虚実の間に揺らめく幻」もない。

 

ごつごつしている歌だ。

だらだらしていて締りのない歌だ。

感情まる出しの歌だ。

 

喘ぐ・ゐる・置く・出る・行く・帰る・死ぬ。

これだけ動詞を多用していては、

整ったリズムの歌は望めない。

 

五・七・六・七・九の五句・三十四音、

字余りはたったの三音。だが、

三句と結句の字余りがだらだらした感じをさせている。

 

べとべとした感情、ぎらぎらした感傷。

この結句は言い過ぎた。

余剰な表現を削り、余情ある表現をすべきだ。が・・・。

 

大野は、犬猫を子供のように愛した。

浦和時代は、猫が細菌を持ち込むと医師であった奥さんに飼うのを禁じられたが、入間時代・熱海時代には犬を飼った。

 

一首を何故、ごつごつした表現にしたか。

三句を何故、字余りにして迄「を」使ったか。

結句を何故、子供のような口語表現にしたか。

すべて、心情に忠実であらんとして、

意識的にこらした趣向である。

ぶらり『水幻記』(二十六)舞台背景――シネラリヤ

 

一鉢のシネラリヤ街にもとめきて父よと呼びぬ妻の子

の嫁           「花幻」(昭49・7)

 

この花は、シネラリ(・)表記するのが正しいようだ。

しかし、響きが良くないので

花屋さんではサイネリアという。

和名は、富貴菊、富貴桜ともいう。

 

しかし、

作者の関心は、花のことではない。

「父よと呼」ばれたことである。

「妻の子の嫁」にである。

「妻の子の嫁」というのにはわけがある。

「私の子の嫁」ではない。

「妻の前の夫との子の嫁」なのである。

 

だから、

「おとうさん」と呼ばれたことが重要なのである。

「妻の子の嫁」に。

「おとうさん」と呼ばれたことが嬉しいのである。

「妻の子の嫁」ゆえに。

 

はずむ会話が見えてくる。

シネラリヤが見えてくる。

二人の笑顔が見えてくる。

幸せな時間が見えてくる。

 

一鉢のシネラリヤが舞台背景となって、

作者としての「父」と

「妻の子の嫁」を

引き立てている。

背景のない舞台は面白くない。

ぶらり『水幻記』(二十五)ロマンの香り――花雫

たちばなの白き五弁の花雫こゑなく沁みぬ妻の単衣に

「花幻」(昭49・7)

 

読者は、初句からリズム良く読み進む。そして、

「花雫」で立ち止まる。

 

「汗雫」なら「汗」、「雨雫」は「雨」または「涙」、「菊の雫」は「露」を意味する。

しかし、広辞苑に「花雫」は無い。それでも、

「花の雫」「花の露」であることは理解できる。

 

『水幻記』には、このように、広辞苑の見出し語にはないが、理解ができる造語の使用例が非常に多い。

例えば、「冬の潮」は「冬潮」、「冬の海」は「冬海」のごとく「冬森」「冬花」「冬雲」「冬池」「春渚」等。その語の後に「の」や「に」「を」などの助詞を使用しても五音になるような工夫ともみえるが、両者には感覚的な違いがある。

また、「枯原」「華耀」「夕鴨」「白花」「仄黄」など辞書にあっても不思議ではない造語も見いだして使用している。

 

「花雫」とは、ロマンの香りが漂う言葉だ。

ちなみに、インターネットで検索してみたら

 

舞妓体験のお店

京都祇園の本格舞妓変身処「心丨花雫丨」

 

がヒットした。

 

妻の衣服に雫が沁みたその理由や経緯は省略して

「こゑなく」を詠み込んだ。

鉄棒競技の大車輪の後のように

「妻の単衣に」が微動だにしない。

完璧な着地によって逆転優勝が決まった。

ぶらり『水幻記』(二十四)初句の入り方――盗み飲む

盗み飲む猿酒の味(そま)びとの酔ひてころぶし春昼は闌く

「春昼」(昭49・6)

 

「盗み飲む」。なんという強烈な初句の入り方だろう。

「盗み飲む」は、

「盗む」と「飲む」という動詞を二つ重ねた複合語。

「盗んで飲む」ということだ。

 

普通は、初句にあまり重い言葉を持ってくることは、しない方が良いと思っている。

何故ならば、後に続く内容が、初句を支えきれるようなもので無ければならないが、そうすると、一首全体がとても重々しいものになってしまう危険がある。

ところが、この歌はどうだ。

「盗み飲む」という強烈な詩句が、その後に続く快楽にも似た一首の雰囲気と呼応して、とても効果的に働いていると思うが、どうだろうか。

 

「猿酒」は「さるざけ」

猿が木の洞又は岩石の窪み等に貯えて置いた木の実が、自然に発酵して酒に似た味となったもの。

「杣びと」は、きこり。

「ころぶし」は、「ころぶす・自臥す・転臥す」。

広辞苑にはないが、ごろりと寝ていること。

「春昼」は、「しゅんちゅう」。

長閑で長く感じられる、春の昼間。

「闌く」は「たく」。「たける・闌ける・長ける」の文語表現。さかんになる。たけなわになること。

 

大野も一緒に飲んでいる。

 

内容は長閑な感じだが、結句に文語の終止形で強く言い切って初句との均衡を保っている。

ぶらり『水幻記』(二十三)選んだ言葉――いくたびも

いくたびも来り仰ぎし地獄門暗き若葉の森に翳なす

「野苺」(昭49・5)

 

この歌の十一年前の昭和三十八年の「短歌研究」四月号「象形文字」の「Ⅳ 西洋美術展」に次の一首がある。

 

心屈せしときひとり来て曇り日の地獄の門を仰がむと

する

 

この歌には、来た理由が述べられているが、

抄出歌にはそれがない。

無い方が良い。

それだけ作歌態度が深化している。

「いくたびも」

この言葉は、大野誠夫の悪い癖だ。

これ迄の歌集の中でも、何回となく使っている。

 

但し、今回の「いくたびも」は認めても良いかも知れない。

この年、大野誠夫は満六十歳、熱海へ移って三年余り。

これを最後に、以降使わなくなった言葉だから。

 

「いくたびも来り仰ぎし」

地獄門を仰いで見たい心境になるような事が、

それ迄の身辺に「いくたびも」あったということだ。

それら一切を排除したこの抽象的表現に深みを感じる。

 

そして、今日見ると「地獄門」が翳をなしているという。

「地獄門」が影を作っているのではない。

「地獄門」自体が影・かげりの中にあるのである。

しかも、若葉で明るい筈の森の中にあってだ。

 

ここでも、

大野誠夫が選んだ言葉に、重大な意味がある。

ぶらり『水幻記』(二十二)短歌の完成――鍼師梅安

鮟鱇に小鳥殺しの雪降れば鍼師(はりし)梅安(ばいあん)よりもひもじき

「野苺」(昭49・5)

 

この歌の解釈は、誰もが「難しい」と言う。

しかし、解らないとしても、それは読者の責任ではない。

何故ならば、作品は、作者の手元を離れた時から、読者の手に委ねられるものであるから。

しかも、読者は、読者の持っている知識や経験、想像力などの範囲でしか理解出来ないのだから。

さりとて、読者に解らない歌を創った作者の責任でもない。

 

現代俳句の第一人者に長谷川櫂という人がいる。

著書に『現代俳句の鑑賞一〇一』という本がある。

「言葉の描き出す世界」と、「その句の詠まれた場面・背景の世界」とを百一人の作品から検証している。結論は、

俳句は人生と表裏一体の文学である。どの句にもその句だけの場面が必ずあるはずである。読者が、その場面にめぐり会えた時、それらの句はようやく完成する。

 

抄出歌の「鍼師梅安」とは、当時、大流行した池波正太郎の小説の主人公「藤枝梅安」であることは疑う余地がない。

「小説現代」に、昭和四十七年から平成二年まで連載された好評の時代小説。同時にテレビや映画でも上映された。

梅安は、優秀な鍼医師であると同時に殺人の請負人である。

 

「雪」は、小説の中に度々出てくる。大野の生誕地の茨城県河内町や終焉地の静岡県熱海市に、雪はほとんど降らない。

「小鳥殺し」は「雪」の修飾語。

「鮟鱇」は、大野の生まれた茨城県の特産品。

「茨城のあんこう」は、全国的に有名なブランド。

「鮟鱇」は、大野自身。

作品は、作者と読者の共同作業で完成するものである。

ぶらり『水幻記』(二十一)見えているのに――色褪せし旗

色褪せし赤旗先立て叫ぶ列荷を追ふ人と過ぐるを待てり

「野苺」(昭49・5)

 

見ての通り写生の歌である。

街で出会ったメーデーの日のデモ行進の歌である。

当時としては何の変哲も無い(ごく)ありれた街の光景である。

 

それでは、この一首が、

「何の変哲も無い極ありふれた歌」か。

そうではない。秀歌だと思う。

 

最近は少なくなったが、昔は、

支部歌会の一環として「吟行会」をやった。

皆である場所へ行って、その場で短歌を詠むのである。

最近は、吟行会は少ないようだ。

あんな苦しくても楽しい会をどうしてやらないのだろう。

 

その人の全人生とその日の心の有様によって、同じ景色を観ながら、目の付け所、感動の拠り所、事物の切り取り方が、人それぞれ、千差万別なのが面白いのに・・・。

 

吟行会で、常に大野誠夫に負けていたのが、今でも悔しい。

「見えているのに、見ていない」と、叱られた。

 

この歌で、大野誠夫は、

「色褪せし赤旗」に、着目したのである。

「赤旗先立て叫ぶ列」という景を、切り取ったのである。

「荷を負ふ人」に、感動したのである。

「過ぐるを待てり」に、自分を発見したのである。

 

一首には、主観も思想も無い。しかし、

見るべきものを見ている。自分を見詰めている。

またも完敗だ。

ぶらり『水幻記』(二十)具体ということ――冬長き国

冬長き国より桜咲く街に来て折りふしに汝はとまどふ

「水の音」(昭49・4)

 

短歌の批評や入門書に必ず出てくる言葉がある。

 

「現実」。それに対して、

現実からかけ離れたことを想像する「空想」がある。

「事実」。それに対して、

事実でもないのに事実らしく仕組む「虚構」がある。

 

私の考えや感じを「主観」という。それに対して、私の考えや感じを排除した見方を「客観」という。

個別的な事や物を「具体」または「具象」という。それに対して、事や物にとらわれない心の世界を「抽象」という。

「実在」と「観念」ともいう。

 

「リアリティー」は、真実性・現実性・実在性・迫真性。

 

個々別々に認識する「個別」や「特殊」がある。

それに対して、全てに共通する「普遍」がある。

 

「主観的表現」は、感情や感傷に流れやすく、

「客観的表現」は、事実性に寄り掛かりやすい。

 

「虚実皮膜」は、近松門左衛門の言葉。

「事実と虚構との中間に芸術の真実がある」ということ。

 

理屈は、これくらいにしておこう。

 

抄出歌の「冬長き国」と「桜咲く街」に注目する。

大野誠夫は「仙台」と「熱海」をこう表現した。

極めて具体性がありながら、抽象化・普遍化されている。

なんと、美的で、詩的で、素敵な表現だろうか。

ぶらり『水幻記』(十九)一語の重み――異種族

異種族の油を恃み富めるがに奢り今にして国難をいふ

「山の畏れ」(昭49・2)

 

作歌前年の一九七三年十月六日、イスラエル軍とエジプト・シリア軍はスエズ運河東岸とゴラン高原で、陸・海・空三軍を動員し全面戦争に突入した。

 

この中東戦争は、日本にも深刻な石油危機を招いた。

第一次オイルショックである。

忘れもしないトイレットペーパーパニックの年である。

当時、石油の八割を中東の産油国に依存していた。

 

「異種族」と大野誠夫は言う。

この認識は、我々と違う。

我々なら「中東の」とか「サウジアラビアの」とか・・・、

地域や国名を言うところだ。

 

しかし、そう言われて見れば、宗教・宗派間の戦争であり、民族や人種間の紛争だ。

 

これがアメリカだったら「異種族」とは言わなかっただろう。

そこに、鋭い言葉の選択がなされている事を知るのである。

大野誠夫の選ぶ一語一語の重みを感じるのである。

 

「油を恃み富めるがに」は、

日本経済の本質を見抜いた言葉だ。

「奢り」は、

油を惜しげもなく消費してきた日本国民への強烈なパンチだ。

「国難」は、オイルショックの事である。

 

この一首、当時のマスコミの言葉を一切使っていない。

大野誠夫の歌を鑑賞しようとする時には、

こういう所に気付かなければならない。

ぶらり『水幻記』(十八)言葉の力――神々しい

神々しきまでに悪徳を重ねたる白亜のビルが倒産を遂ぐ

           「暗流」(昭49・1)

 

「白亜の殿堂」と言えば、

アメリカの「ホワイトハウス」を思い出す。

 

しかし、この歌は違う。

「神々しきまでに悪徳を重ねた」のである。

こんな使い方を今までに見たことがあるだろうか。

 

「悪徳」は、「悪徳商法」の「悪徳」だ。

「道徳にはずれた悪い行為」を言う。

だから「悪徳」だけで相当きつい言葉である。

一方「神々しい」は、

「神々のように気高くて厳かである」という意味である。

尊いのである。

 

「神々しい」と「悪徳」、そして「白亜のビル」と「倒産」

 

この相反する二つの言葉が結びつけられているのである。

本来、結合し難い二つの物質を結合させて、二〇一〇年にノーベル化学賞を受賞した「クロスカップリング」と呼ばれる有機合成法のようだ。

 

「悪徳」を最高級に美化することによって、

「倒産」が千尋の谷のごとく深くなる。

 

言葉の結合の妙である。

言葉の「クロスカップリング」である。

言葉が個々に持つ言葉の意味以上の力を発揮する。

 

それが、短歌の面白さだ。

それが、短歌の力だ。

ぶらり『水幻記』(十七)普遍的な歌――独裁を撃て

独裁を撃てと起ちたるグループも一人余さずとらはれしとぞ            「暗流」(昭49・1)

 

正直な歌だ。

結句が「とぞ」だから、

新聞かテレビで見聞きした事なのだろう。

 

「独裁を撃て」

初句のこの衝撃的な言葉は、どうだろう。

 

読者は、このまま通り過ぎることは出来ない。

中へ入って見たくなる。

次を読み進んでみたくなる。

大野誠夫の計算通りである。

 

どこかの国で、独裁政治打破の為に、

独裁者を葬ろうとして一団が決起したのだろう。

ところが、

逆に治安部隊に制圧され、「グループも一人余さずとらはれ」てしまった、と言うのだ。

 

こうした社会詠の場合、

どうしても事実に寄りかかってしまう。

事実を伝えようとしてしまう。

その結果、散文化してしまう。

新聞の一行と変わらない内容になってしまう。

 

その点で、

この一首は、新聞記事の内容・事実を切り捨てている。

極限まで具体を捨てて、抽象化している。

結果、普遍的な一首になった。

 

東日本大震災を詠む場合の参考になりそうだ。

ぶらり『水幻記』(十六)写実の歌――猫坂

猫坂を皮剥ぎびとと下る夜の眼下の海辺花火(きら)めく

「猫坂」(昭4812

 

この歌は、全くの虚構に見えて、実は写実の歌である。

と言ったら驚く人が多いだろう。

 

熱海は、坂が多い。

どこもかしこも坂道だらけである。

大野の家の前も後ろも急峻な坂道である。

 

熱海には、猫が多いらしい。

『水幻記』だけでも猫の歌が十一首もある。

温泉街だから野良でも食べ物には困らないのだろう。

熱海は、花火好きの街だ。

毎年、花火大会が十二回もあるというから驚く。

春夏秋冬、一年中花火を上げている勘定になる。

それも、平成二十三年で六十年目だという。

 

「猫坂」は、固有名詞と思う人もいるが、そうではない。「猫坂」は、「猫のいる坂道」と考えれば良い。

『水幻記』を読めばすぐ解る。

白き猫坂のなかばに立ちどまり(はふ)(ど)の空竪琴ひびく

など、何首もある。

 

それでは「皮剥ぎびと」は、誰か。

作者、大野誠夫自身の幻影に決まっている。

大野の人生での自身の非情さをそう言ったまでだ。

「幻想」でも「虚構」の歌でもない。

大野誠夫の「写実」の歌なのである。

そこが、観念主義の前衛派や抽象派とは違うのである。

 

それにしても、熱海の海辺に燦めくこの花火を、別れた娘や息子と、一度だけでも一緒に見たかったろうに・・・。

ぶらり『水幻記』(十五)大事なこと――黒衣の尼僧

水の辺の黒衣の尼僧はばたきてうつつの蝶の群にまじはる 

           「水幻記 幻Ⅳ」(昭48・7)

 

「幻Ⅳ」と小題する作品である。

ここまで来ると完全に「幻想」の歌である。

黒い揚羽蝶の大群が、

大野の近づくのに驚いて一斉に飛び立った。

それだけの事実である。

 

上句は、その事実から大野が幻想した事である。

「幻想」は「夢」みたいなものだ。

個人の「幻想」も「夢」も誰も真似する事は出来ない。

個人の「幻想」も「夢」も誰も入り込む事は出来ない。

それでは、何を夢見ても良いか。

何を幻想しても良いか。

そうではない。

 

実人生に傷つき、疲れた私は、折々こういう幻想をたのしんだ。幻想の世界にあそぶことは、単なる逃避であってはなるまい。

幻想の中に、真実をさぐるのである。

それは、つかのまの安らぎを与える。

この歌ができたとき、夕べの湖のように気持が静まったことを忘れない。

 

と、大野は言う。

 

この歌が探り当てた「真実」は何だったのかは解らない。

しかし、作歌して「つかのまの安らぎ」に似たものを覚えたであろう事は解る。

短歌を作って、悲しくなるのなら止めた方が良い。

短歌を作って、心弱くなるのなら止めた方が良い。

作歌には、その事が何より大事なのだと私は思う。

ぶらり『水幻記』(十四)幻の先――石の館

 

高層の石の館(やかた)の建ち並ぶ街に人無しつねに照りつつ

                「水幻記 幻Ⅲ」(昭48・7)

 

「幻Ⅲ」と小題する作品である。

 

田中角栄が「日本列島改造論」を出版したのが、昭和四十七年六月。

九十一万部を売り、政治家の著書としては、驚異的な大ベストセラーになった。

そして、翌月の七月には総理大臣になっている。

 

「高層の石の館」とは何か。

「高層ビル」ではないのである。

「石の館」でなければならないのである。

それが詩人の心なのである。

 

丁寧な、写生歌だ。

冷徹で殺伐としたコンクリート・ジャングル。

まるで、人類滅亡後の都会のような。

 

しかし、四句までで良さそうなものだ。

なぜ、結句を付けたのだろうか、と考える。

「幻」の先に何があるのだろうか、と考える。

 

追い打ちをかける「照り」のようだ。

微かに残る救いの「照り」のようだ。

 

当時建設された「石の館」のひとつである巨大な団地も、今では、老人ばかりの過疎集落・限界集落と化している。

「コンクリート・混凝土」なる言葉も広辞苑に載った。

峨峨として石の館の聳え建つ暗き谷間を人孤り行く

                 貞雄

ぶらり『水幻記』(十三)詩人の眼力――不毛の地平

旱天の不毛の地平けだものの群水恋ひて移りゆくなり

「水幻記 幻Ⅱ」(昭48・7)

 

「幻Ⅱ」と小題する作品である。

 

夏の太陽が照りつける空がある。

空の下には、作物も出来ない広々として土地がある。

その土地から脱出しようとしている獣の群がある。

 

ここで、「けだもの」の種類など問題ではない。

すべての「けだもの」を思えば良い。

すべての「命あるもの」を思えば良い。

 

今までは水も緑も豊かな土地だったに違いない。

けだものも豊かな生活をしていたに違いない。

それが、(ひでり)で不毛の土地になってしまった。

 

けだものは、水のある方向を目指して移動してゆく。

目指すは、オアシスか、湖か、沼か、川か。

行く先にも水の無い? 幻の水場か。

 

幻想とも言ってはいられない。

「けだもの」だけではない。

人間も、である。

 

地球温暖化の兆候を見ている。

地球の行く末を見ている。

万物の命を見ている。

 

この歌は、三十八年前の歌である。

詩人の眼力、それが凄い。

もはや「幻」ではない。

ぶらり『水幻記』(十二)新語・流行語――人買ひ

田を売りて家新しき村の道はや人買ひが鞄(さ)げくる

         「水幻記 幻Ⅰ」(昭48・7)

 

戦後日本の高度経済成長期最後の頃の歌である。

この歌は、上句も下句も当時の社会状況を詠んでいる。

ただ、それだけである。

 

田畑を業者が片っ端から高値で買い上げ、住宅用地や地方工場用地として盛んに造成した。

農家は、売った金で家を新しくした。

田畑を売っても幾らでも出稼ぎ口はあった。

 

「人買ひ」とは、本来は「人身売買業者」のことである。

しかし、この歌はそうではない。

当時、どこの会社も忙しく、求人広告を出しただけでは人が集まらない。(現在とは隔世の感がある)

だから、会社の勤労部門の人などが、会社で働いてくれる人を探して歩いたのである。

会社から遙かに遠い地方でも、山間僻地といえども、出社のための支度金を鞄に詰めて人集めをしたのである。

まるで「人買ひ」のごとく。

勤労部門の人達が自嘲的に自分達をそう呼んでいた。

 

大野は、いち早くそうした流行語を取り入れた。

時代の風俗として。

時代を象徴する言葉として。

それだけではない。

大野の心情を代弁する言葉として使っている。

そこが真似できない凄さだ。

詩人は、時代に敏感でなければならない。

駅ナカのCo Co壱番屋のカウンターに割り込みて来て寒いねと言ふ

                           貞雄        

ぶらり『水幻記』(十一)隠約の詩――しかばね海に対く

隠約の詩――しかばね海に対く

 

はるかなるうしほの音を聴くごとくしかばねは皆海に(む)きたり

             「水幻記 幻Ⅰ」(昭48・7)

 

特殊な場面だ。

映画でも観たのだろうか。

砂漠のようだが、疑問の多い歌だ。 

 

「はるかなる」と言う。海には遠いようだ。

とはいへ、大陸内部ではあるまい。

海に面したサハラ砂漠やアラビア砂漠が思い浮かぶ。

 

「しかばねは皆」というから、何体もあるようだ。

何の「しかばね」だろうか。駱駝? 人間?

そこに、何があったのだろうか。

 

「皆海を対きたり」という。

何故、海に向いているのだろうか。

海波の音を聞きたい訳ではない。

海水は飲めないから、水を欲している訳でもないだろう。

しかし、「海」へは行きたかったのだ。

「海」とは「理想」や「希望」の象徴なのではあるまいか。

 

歌集名『水幻記』ともなった一連の中の一首である。

現実を単に叙したものを、私はリアリズムなどと言いたくない。対象の核心にひそんでいるもうひとつの現実を抉り出すことだ。その結果、難解になることもある。言葉は簡単だが、読者の想像力を搔き立ててやまない、高度な隠約の詩でありたい。

と大野はいう。

後に「作風」でも「墓石は皆海に向く」等と模倣されたりしたが、「隠約」からはほど遠い作品で終わっている。

私の作品も無い。

ぶらり『水幻記』(十)思い出の歌――いつぴきの鯉

よみがえる記憶の中に庭あれば風を孕めるいつぴきの鯉

「白衣」(昭48・6)

 

歌は、情景に触発されて創られることが多い。

作者の思い出に感応して創られることがある。

 

眼前の情景から、作者の思い出へどのようにして、転写していくか。

これは、高度な技術である。

 

抄出の一首は、「よみがえる記憶」に、その痕跡を残しているが、

触発される素になったはずの、眼前の情景は何だったのだろうか。

 

大野誠夫には、一人の男の子がいる。

作歌当時には、既に、仙台の大学の学生になっていた。

「よみがえる記憶」とは、何か。

鯉のぼりということは、その子の子供の頃の思い出である。

 

「風を孕めるいつぴきの鯉」は実景である。

「風を孕めるいつぴきの鯉」を見ているのである。

と同時に、「よみがえる記憶」の中の鯉のぼりである。

実景に思い出の景色を重ねているのである。

 

大野は言う。

作品は感動の再現である。作者が現実に生きたことを、ある時間の後に、もう一度作品の中に生きることによって真の自己を把握するのである。はるかな時間の向うに埋没した自己を掘り起し、よみがえらせ、生々しい現実感を与えることは可能である。

思ひ出となりたる孀娥(さうが)の森に唄ふ蝉の聲明(しやうみやう)に立ち止まりたり           金子貞雄歌集『聲明の森』

 

ぶらり『水幻記』(九)合わせ鏡――偸盗

死は人を偸盗のごとうかがへり老桜の花白き夕闇

「春の夜」(昭48・5)

 

「偸盗」は、「ちょうとう」または「とうとう」と読む。

盗人のことである。

この歌は変わっている。

上句に作者の思いを述べてしまって、下句で眼前の情景を写生している。

 

作者は、先に上句の思いが浮かんだに違いない。

その証拠には「老桜の花」の「老」が怪しい。

下句は、上句に相応しい情景を創造したに違いない。

きっと、そうである。逆かも知れないが・・・。

こういう作り方もある。

但し、とても難しい作り方だ。

創造力が、重要なポイントとなるからである。

永田和宏に「短歌合わせ鏡の説」がある。

角川書店の「短歌」昭和5212月号で発表された理論。

短歌は「『問』と『答』の合わせ鏡」だ、という説。

 

感動を覚えるのは、「問」と「答」の位相を変えつつ呼応し合うという構造にある。「問」の拡散性をいかに「答」の求心力によって支え得るか、「答」の凝集性をいかに「問」に遠心性によって膨らませ得るか、という点にこの定型詩の生命がある。「問」をいかに遠くまで飛翔させ得るか、いかにうまくブーメランのように回収することができるか、が作品評価の要である。

と、永田は言う。

御手の向き神あやまてり果て知れず都市残骸となりて煙れる

                金子貞雄歌集『聲明の森』      

ぶらり『水幻記』(八)起承転結――人の流離

伊豆多賀の浜に打ち寄せる波の音人の流離の疲れを(いや)

             「黒耀」(昭48・3)

 

文章に起承転結があるように、短歌にも起承転結がある。

そういう構造の歌が多い。

 

さしずめ、この歌は「伊豆多賀の」が起、「浜に打ち寄せる波の音」が承、「人の流離の」が転、「疲れを癒す」が結、というところだろうか。

 

上句で眼前の情景を写生し、下句でその情景に触発された作者の思いを述べる、という構造でもある。

 

「人の」に少し工夫があると思う。

何故「我の」ではなく「人の」なのだろうか。

もちろん「我の」でもある。

「我の」を含む「人の」なのである。

「人の」は、感覚である。

「人の」は、普遍化である。

 

「流離は」郷里を離れて、他郷をさまようこと。

大野の人生そのものである。

波の音を聞いているうちに、自分のそれまでの人生に思いが及んだのである。

 

「転」がポイント。

上句に近すぎても遠すぎても失敗する。

自然な「起承」と無理の無い「転結」の見本のような一首だ。

天皇の死よりも悲しき飼ひ犬の死 心の距離にて人は悲しむ

                金子貞雄歌集『熱鬧の街』

私の不得意とする分野である。

ぶらり『水幻記』(七)直喩――寒雷の雨

海近き庭の朱欒の大き実に寒雷の雨あつまるごとし                 「黒耀」(昭48・3) 

放水しているのではない。

雨は、万物にくま無く均等に降っている。

自然に降る雨が、朱欒(ザボン)の実にだけ集まるわけがない。 

 

しかし、大野にはそのように見えたのである。

朱欒の実に雨が集まってくるように見えたのである。

直喩の表現方法である。

 

朱欒の実は、グレープフルーツのように、直径が十五センチにも大きくなる。 

そのうえ鮮やかな黄色をしている。

だから、その部分だけ明るいのである。

 

類似の現場に立って、じっくりと見てみるがいい。

大野の感覚を納得できる。出来ない方がおかしい。

 

寒雷は、寒中に降る雷雨。

寒中は小寒から大寒までの間。

従って、一月上旬から中旬の雷雨ということになる。

 

だが、それは広辞苑の話。

詩に用いる場合、そんな厳密に使用することもない。

だいたい冬の雷雨程度に考えておけば良い。

と私は思っている。

今朝(い)けし生花のごとく見てゐたりホールを飾るカサブランカを

                              貞雄

よく見たら造花でした。お粗末!

ぶらり『水幻記』(六) 詩語となる――血の河

血の河のにごれるほとり稲死なず長き戦後を彼ら歩むか                                                 「血の河」(昭48・4)

 

「血の河」は、広辞苑にはない。あるのは「血の涙」「血の汗」「血の雨」「血の池」「血の海」などである。

となれば「血の河」があってもおかしくはない。

 

大野には「血の河」の歌が三年前にもある。

運命にあらがふものは善悪のけぢめもあらず血河をわ

たる       大野誠夫歌集『あらくさ』「桔梗」

初出は「作風」四十五年七月号「夏花」。この歌については『桃花抄』に自注がある。場面は、二度目の離婚で浦和を離れ、三度目の結婚の為に入間の新居へ転居する場面。

 

転居の日は、生憎、土砂ぶりの雨だった。トラックの運転台の窓から、舗道に雨が河のように流れているのを見ながら、これは、雨ではなく、血の河だと思った。

 

昭和三十七年にイギリス映画「THE PIRATES OF BLOOD RIVER血の河の海賊が日本で公開されたことがある。

その映画の日本での題名は「血の河」だった。

しかし、大野がその映画を観たかどうかは解らない。

 

それはともかく、漢字の組み合わせから私達は、それぞれがそれぞれにイメージする。

例えば、「血」と「河」の組み合わせで、戦争によって殺された人々の血が河となって流れるイメージなど。

例えば、「稲」と「死なず」によって、戦中、戦後を生きて戦ってきた日本人のイメージなど。

イメージは、読者の人生によって異なることがある。

 

漢字が、文字単独以上のイメージの力を獲得した時、漢字は「詩語」となる。

ぶらり『水幻記』(五) 動かない言葉――白髪のをとめ

 

白髪のをとめとなりて病み臥せる枯木の手をばわれ握りけり                                            「血の河」(昭48・4)

 

この歌は、虚構ではない。

私の知っている実在の人である。

十七歳の頃から病気になり、二十四歳の頃には常臥の人となってしまった。

薬のせいもあって、独身のまま白髪となっていたのである。「白髪のをとめ」には、意外性があり、万語にも尽くし難い物語性を孕んでいる。

 

「白髪のをとめ」の部分を「白髪の老婆」や「未婚のをとめ」等という表現に変えてみる事も可能だが、どの組み合わせも極めて平凡だ。

 

「白髪のをとめ」。

彼女を表現するのには、この言葉以外には無いだろう。

「白髪のをとめ」は、「動かない言葉」と言える。

 

このように「動かない言葉」による組立で一首を成す事が出来れば、どんな地震がきても倒れない歌になる。

 

ついでに記せば、彼女は鉛筆さえ握る事が出来なかった。

ベッドに寝たまま、小さな窓ひとつが彼女の外界だった。

それでも、ひと月たりとも欠詠した事はなかった。

どうしたか。

母親の献身的な代筆によった。

第六回「作風賞」を受賞した。

歌集に『蝶のくる日』がある。

            

吾の心に常に磨き置く窓ひとつ白髪の蝶見逃さむため

貞雄

ぶらり『水幻記』(四) 重ねる――沖縄びと

苦しみて棄てし家郷を語らざる沖縄びとと春渚踏む

「黒耀」(昭48・3)

 

「沖縄びと」であり、「沖縄(じん)」ではないのである。

こういうところにも大野の繊細な感覚表現が隠れている。

 

この一首は、その沖縄の人のことを詠んだ一首である。

しかし、そこで観賞を止めてしまうわけにはいかない。

 

何故、大野がこの事に感動したのか。

何故、大野が短歌に詠もうと思ったのか。

そこのところが重要だ。

 

「苦しみて棄てし家郷を語らざる」は、沖縄の人のことを詠んでいる。

本当は、沖縄の家郷を捨てたくはなかった。

しかし、捨てざるを得ない事情があった。

その狭間で、辛く悩み苦しんだ。

 

そして、泣く泣く故郷を捨てて東京へ出てきた。

その決断を揺るがないものにしておくために。

家郷の事は思い出さないようにするために。

他人に公言することなど決してしなかった。

 

そう詠みながら、大野は自身のことを重ねているのである。

決して、他人事として詠んでいるのではないのである。

大野自身もこの人と同じ境遇にあったからである。

心の「沖縄びと」と春渚を踏んでいるのである。 

生まれおちて間なく死にたるを親象は長き鼻もて立たさむとせり                                                                  貞雄

生まれたその日に亡くなった私の娘の事が重なったのである。

ぶらり『水幻記』(三) 言葉の選択――美形

赤貧の生を救ひし天性の美形(びけい)のゆゑに身をやぶりけむ 

                「石の坂」(昭48・3)

短歌は言葉の芸術である。

その上、三十一文字という定型の芸術である。

 

広辞苑によれば、

「美形」は、うつくしい容貌。美貌。また、その人。

「美貌」は、うつくしい容貌。

「美女」は、容姿のうつくしい女。

「玉女」は、玉のように美しい女。

「美人」は、顔・姿の美しい女。美女。佳人。麗人。

「佳人」は、美人。

「麗人」は、みめうるわしい女の人。美人。

「秀麗」は、すぐれてうるわしいこと。「眉目―」

「器量好し」は、顔立ちのよいこと。また、その人。美人。

美人の形容として「青蛾」「蛾眉」「柳眉」

などがある。

 

こうした多数の言葉の中から、どの言葉を使用するかは、作者の感覚の問題となる。

そして、その言葉の選択が、時に、短歌の生命を決する。

しかしながら、問題は、こうした語彙を知っていなければ、選択する事さえ出来ない。

 

言葉の芸術は、

豊富な語彙と感覚的な語彙選択により生まれる。

言葉を知ると、その言葉を使いたくなる。

草食系美形男子のはしご乗り天空に「ヨッ」と手を離したり

                          貞雄

ぶらり『水幻記』(二) 抽象の力――鋭ごころ

(と)ごころのをさまりゆけよ波立たぬ冬海暮れて遠き島の灯

                    「島の灯」(昭48・2)

(と)ごころ」とは何か。

この抽象の意味は何か。

 

大野は、怒っているのである。

我慢出来なくなっているのである。

胸が張り裂けようとしているのである。

興奮しているのである。

悲しいのである。

 

本意ではないけれども、心が尖っているのである。

何故か。

その理由や原因は言わない。

短歌に、説明は必要ない。

尖っているだけで良い。

 

抽象の力を考えさせられる一首。

 

ところで、この一首は、上句で心象を述べ、下句で実景を写生している。

こうした構成の歌は、『薔薇祭』に、上句で実景を写生し、下句で心情を述べている歌として有名な、

 

  紫蘇の葉の低むらがりに光差しみづからを(たの)む心ぞ熱き

 

があるが、大野には珍しい構成の歌である。

世の中では多用されている。  

かばかりのことにかまけて迷ふまじ太く流るる夏の利根川 

                        貞雄

ぶらり『水幻記』(一) 説明言葉――坂の街・熱海

      坂の辺に棲むべくなりて枕もと通る湯の街の人ごゑを聞く

               「路次のこゑ」(昭48・1)

 

大野誠夫が晩年を過ごした静岡県熱海市は、海に近く、且つ、実に山や坂の多い土地である。

私が、大野の家を訪ねる時は、いつも熱海駅から歩いた。

二キロ足らずの道だが、上り下りが多く一汗をかく。

 

大野と大野の家の周辺を散歩したことがある。

しかし、若い私の方が早々と息が切れてしまった。

健脚を言い、勝ち誇ったような笑顔が忘れられない。

 

大野の家の玄関のドアを開ける。

すると、たった一、二歩で急な坂の道路へ出る。

裏庭の下にも坂の路次が通っている。

 

大野の亡くなった日、支部長に連絡を取るために、裏の家の電話を借りようとして、玄関へ続く雪の石段で転んだ。

濡れた石の階段を、突っ掛け履きで、小走りしたのが間違いの元だった。

曜吉さんに、救急車で近くの外科病院へ連れて行っていただき事なきを得た。

後頭部裂傷、告別式は頭にネットを被って臨んだ。

 

その大野は、茨城県河内町に生まれ、東京、埼玉と移り棲んだが、どこも平坦な地形の土地であった。

 

「坂の辺に棲むべくなりて」は、説明言葉ではない。

大野の五十九年の人生を重ねた、重みのある言葉である。

 

二十六年という歳月を隔ててもなほ近々し大野の命日二月七日は

                          貞雄

ぶらり『水幻記』 はじめに

 大野誠夫の原っぱを散歩しているのである。

 

 大野には、十ヶ所の原っぱがある。

『薔薇祭』は、終戦後の昭和二十一年から三年間、大野誠夫の三十二歳から三十四歳までの原っぱ。「敗戦の都会の風俗」を通して、「人間の生態とその心理」を追求した。大野の出世歌集であり、その後も取り上げられる機会が多い。「アララギ」と激しく対決した時代。

 

『花筏』は、『薔薇祭』以前、昭和六年から十八年、大野十七歳から二十九歳までの青春時代の原っぱである。十九年に川端夏子し結婚、二十年に長女が誕生しているが、この二年間、作品は全く発表されていない。

 

『行春館雑唱』は、離婚と生活に疲弊した時代。「一度否定した日常性のなかに、自己を捉え」ようと、日常生活を直裁的に詠った時代。

 

『胡桃の枝の下』『山鴫』は、再婚と長男誕生、しばしの生活の安定をみた時代。「歌は実生活の感動を再現するだけでなく」「体験と想像――この虚実の間に揺らめく幻のようなものを掴んで表現したい」という主張を鮮明にした時代。

 

『象形文字』『川狩』は、再び実生活が破綻し「物語的発想」を取り入れた時代。

 

三度目の結婚で新天地の入間市時代の『あらくさ』は、「幻想」の短歌世界を構築した時代。

そして、終の棲家となった熱海市での『水幻記』と、遺歌集となった『水観』などがある。

 

 その内で今回、私は『水幻記』を選んだ。

健康で景色の良い野原だからである。

 それでいて、初秋の野原の感じもするからである。